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介護時代の日記

院長雑記

posted by admin

介護職していたときに、
日々の出来事を日記とか、
レポートにしていました。

久しぶりに読んだら面白かったので、
読み物として面白そうなものを載せようかなと思います。
当時そのままの心境なので、
その点だけご了承ください。


Aさんの帰宅

入居者の中にAさんという女性がいるのですが、
この方はパーキンソン病からくる錯乱状態が強く、
家族の手に負えないから・・・と入所された方。
普段はとっても愛嬌があり魅力的なおばあさんですが、
病気のスイッチが入ると、途端に錯乱状態に入ってしまいます。

暴れている時の状態は常識からは想像できないような凄さで、
精神とか腰をやられて退職した人もチラホラいるお方。
私はこんな人は初めてみた・・・と思っていましたが、
介護経験者の周りの職員に聞いても、
「こういう人は初めて見た」という人ばかりでした。
同じような症例を見たことがあるという人は、
30人くらいに聞いて一人しかいませんでした。
末期は私も、本当に精神がやられるくらい引きずられました。

Aさんの通院していたかかりつけの医者がヤ〇っぽくて、
薬がどさどさ増えていったり、逆に急に減ったり、
まるで人体実験のごとく薬の量を変化させられていました。
それに伴い、
一瞬だけ良くなるようにみえても副作用のほうが強く出ることも多く、
結果的に錯乱の状態は酷くなるばかりで、
一向によくなる気配が見られませんでした。

薬漬けが進み、
どんどんどんどん酷くされて行く姿は見るに耐えず、
頑なに医者を変えないという家族さんに、
スタッフ、偉い人、偉い人2、と繰り返し繰り返し、
自然に誘導するような形で「医者変えましょう!」と説得を続けました。
結局医者を変えてもらうまでに1年くらいかかりましたが、
ちょうどその頃にAさんの心身は限界に来ており、
全身に全力を込めたような緊張を1日続けた後、
ガス欠になったように動かなくなってしまいました。

「これはまずい!」ということで緊急入院。
そして、近所の〇ブに転院する前に、
主治医をしていた先生が診てくれるようになりました。
遠いところなので通うのは中々大変なのですが、
入院中に様々な検査をし、状態についての所見をホームに伝え、
原因の特定を頑張ってくれました。
以前から気にはなっていたらしく、
真摯に向かい合ってくれている感じが
ホーム職員にもわかるくらい、治療に力を尽くしてくださいました。
その結果、不必要な薬はほとんど無くなり、
その代わりに起こる副作用も、予想される範囲でのことですが起こりました。

で、現在どのような状態かというと、
パーキンソンの進行は進み、
足の動きは以前よりは不自由になりつつも、
錯乱状態は以前が100とすれば、1~5%程度でしか発症せず、
妄想や錯乱から会話が成立しない、という状態も解決されました。
つまり、今は職員側から見ても
「ちょっと手足が不自由な、普通のおばあちゃん」という姿です。

前置きが長くなりました。

ここまで回復している状態で、
Aさんは現在、日中を寝てばかりで過ごしています。
これは職員側の責任と感じているのですが、
手がかからない=楽=他の人を優先してしまう
ということから、暇であったり退屈であったりで、
時間を潰すために寝る、という面が大きいと思ってます。

そこで今回、家族さんにAさんの回復具合を実感してもらうことと、
気力の回復の一環として、
諦めてしまっていたであろう「家に帰ること」を実現させようと計画しました。

これは誕生日の記念としての案を考えていたのですが、
永田案としては
「家族さんを沢山呼んでもらい、全員に言葉をかけながらハグしてもらう」
というものを提案しました。
同僚の「家に帰るというのはどうか?」という提案を聞き、
実行できるかを考えた結果、
こちらのほうがいいな、ということで決定しました。

早速上司に掛け合いOKを貰った後、
家族さんに協力を仰ぎ、許可をとりつけました。
そして今日、2年ぶりにAさんは自宅に入ることができました。

車で連れて行く途中、Aさんはなんだか元気がなく、
話を振ってもあまり受け答えがありませんでした。
「うーん、嫌なのかなぁ・・・」
「帰ること、嬉しくないのかなぁ」と
話をしながら考えていました。

家に到着して、
「Aさん、家だよ」と声をかけると「ああ・・」
と、どうとも受け取れるような返事。

迎えに出てくれたのは息子さん夫婦、孫、旦那さん。
「おかあさん、おかえりなさい」と笑顔で迎えてくれました。

私がAさんを誘導し、介助しつつこたつに座らせると、
まだあまり元気そうでも、嬉しそうでもありません。
私が声をかけていると、家族さんが次々と食べ物を持ってきてくれました。
「おかあさん、だんご食べる?ケーキもあるよ。たこやきも好きだったわねえ」

沢山用意されたものを、
Aさんは声掛けで少しずつ口に運んでいきます。
緊張や不安が解けたのか、話を聞いたり、
食べているうち、少しずつ顔が明るくなってきたような印象を受けました。

結局たこ焼き3個、みたらし団子3本、ショートケーキ1つを完食。
ケーキ食べてからみたらし食べたので、
「Aさん、もうおなか一杯?」と聞いたのですが
「まー一本食べる」とおかわり。
それを食べきった後に再び聞くと
「まー一本ちょうだい」と、恥ずかしいような、嬉しそうな顔で話しました。

家族さんもAさんに色々話かけたりして、
「前と違って体の動きはないなぁ」とか
「今は話ができるもんなぁ」と、回復を喜ばれているようでした。
最後にトイレに行ってからお別れをしましたが、
お嫁さんは「もう帰るの?」と別れを惜しんでくれました。

車に乗った後、みんなが見送りをしてくれました。
「おかあさん、またね、バイバイ」と笑顔で見送られ、
「バイバイ」と、微笑みながら手を振り返すAさん。

「ありがとうございました!また、よろしくお願いします!」と私

帰りの車中
「Aさん、また来れるように頑張ろうな」
「そうだな、足をしっかり使えるようにせないかんな」とAさん。

ホームに戻り、Aさんはいつもの生活に戻りました。
今日は帰ってきたあと、横になりたいと言って眠ってしまいました。


この仕事は、思いやりをかけたからといって期待をしてはいけない。
10手をかけたことが、1返ってくればいいと思わないとやっていけない。
10手をかけたとしても、マイナスで返ってくることも多い。

家に行く途中でのAさんの心境は、想像してもトレースができない。
「家にいっても、私は戻れないんだ」
「帰っても、ずっと住むわけじゃないんだ」
こういう気持ちがあったのかもしれない。
家に着いてもすぐには嬉しそうな顔が見えなかったAさん。
私はAさんが、不安や憂鬱で、
楽しめないのではないか?という不安は大きかったです。

Aさんが家に帰って良かったのかどうか。
連れて行く前は不安でしたが、
家族さんの反応を見た後は、
連れていって良かったな、と思いました。
介護職員は、家族さんの愛には勝てないな、とつくづく思います。


慈善事業も介護も、
ある意味では自己満足です。
どんな奇麗事を並べたところで、
してあげる、やってあげる、の精神をいくらかは持ちつつ人と関わることです。
だから独善的になっていないか?という客観的な視点を持ちつつ、
私は考えるようにしています。

思いやりの真理について考えることは永遠のテーマ。
「これがいい!」と決め付けることはできないけど、
「今日の行動は間違ってなかったよな?永田」と、
自分に問い、頷ける1日だったと思います。



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