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言葉の力 宗教に学ぶ 世界の記憶

院長雑記

posted by admin

信じるも八卦、信じないも八卦。長文です。
言葉の力 宗教に学ぶ 世界の記憶

人はなぜ宗教によって癒される、励まされる、
生きていく力を持つのかという疑問を持ったのは、
大人になってからでした。

自己啓発を学んでしばらくして、、
宗教との共通項というものに気づきました。
あくまで自分の考えということを前置きしておきます。

自分が昔使った自己啓発は、
自己宣言法を使っていました。
わかりやすく言えば、
「自分がんばったね、えらいね、幸せだよね」
と、怪しさ満点な洗脳していくような感じです。

実際にそんな言葉は吐きませんが、
潜在意識に刷り込むという原理は、
様々な自己啓発との共通点ではないかと思いました。

人格が作られていく過程においては、
例えばずっと根暗だと思って生きてきた人は、
自分のことを根暗だと確信しています。

それは、それまでの体験や成長で、
そのように設定されていたからです。

家庭環境もかなりの影響があります。

成長の過程で家族から
「おまえは何もできないね、ほんとに駄目な子だ」
「おまえはばかだね」「ほんとトロイねー」
「おまえはずるいね」
など、ネガティブな言葉を浴びせ続けられて育つと、
自分でそう思い込んでしまいます。
そういうキャラとして設定されてしまいます。

環境が人を作る、とはよく言ったもので、
周りにほめて伸ばす人が多い人は、
人をよくほめるようになります。

人をけなす人が多い中で慣れてしまうと、
人のよさに目を向けなくなりがちです。


学校でも職場でもプライベートでも、
日本は同調圧力がかなり強い文化です。
本来持っている性質と、
異なる答えを強いられるケースが多々あります。
これもある意味洗脳だと思っています。

職場で自分が正しいと思う行動をとっていても
周りの人が「それは違う」「それは違う」「それは違う」
と、すべてが否定から入られてしまったらどうでしょうか?
大人でも「間違っているのではないか?」
と、考えや信念に疑問を抱いてしまう人は多いでしょう。



宗教には経典なり、聖書などがあります。
その言葉のエネルギー的な力について、
以前体験したことがあります。

当時、気功の師匠はキリスト教に傾倒していて、
それを使ったワークを教えてもらったのですが、

キリスト教の聖書に気を送ると、
本からぶわあーっと、送られた気の質とは違う、
気持ちのいいエネルギーを放射するのを感じました。

この体験自体オカルトで、
証明しようもないことなのですが、
この体験から、
書かれている言葉に意味があるのではないか?
と興味を持ちました。

実際に聖書を読んでみると、
人生訓になるような話もあれば、
荒唐無稽に感じる神話のような話もあります。

読んでみて、
言葉の羅列自体に意味があるかもしれないが、
利用した人の数で影響があるのではないか?
という疑問がさらに湧いてきました。

宗教、またはそれに類するものは、
自己啓発と同じように、
染め上げていく力によって、人を変えていく。
その力が、関わった人間の数や想いによって、
無意識的に働きかけが発生しているのではないかと思いました。

何度か宗教の勧誘を受けて、
話を聞いてみることをしたことがあります。
理由は様々あれど、理というか、
潜在意識に働きかけるインプットの法則は
やはり共通しているのかな、と感じました。


世界の記憶、アカシックレコード、
と呼ばれる概念があります。
生物の進化や過程などが記憶されている。
無意識の記憶、みたいなものです。

本当にあるのか、ないのか?
ということは証明ができませんが、
瞑想している人などは、その一端に触れることがあるようです。

介護職やっていた時、
またはマッサージの店にいるとき、
人間のバイオリズム、
行動はそろうものだな、と感じた体験が多々ありました。

夜中なのに、
3か所しかないトイレに9人同じタイミングで起きてくるとか、
台風が近づいてくると、なぜかそろって不機嫌になるとか(笑)
店なら、予約がかぶる時間帯が揃ったりとか。

心理学でいうと集合的無意識が、
この深層行動に関連しているとされていますが、
アカシックレコードとの共通していることかもしれないですね。

さて、聖書の話に戻りますが、
我が家は仏教の家ですので、
法事では読経があります。

これを聞いているときに
「過去この同じ言葉を、誰が何回読み上げたのだろう?」
という疑問が浮かびました。

例に挙げると聖書は世界中で読まれている、
ベストセラーになっています。

ともすると、冒頭に書かれている言葉から終わりに至るまで、
1人が1回読んだとしても、
生者死者合わせたら、一体どれほどの回数だろう?
という思いに至りました。

現在の信者の数でも数十億単位なのに、
今まで生きていた人たちを含めたら、
おそらく数百億、数千億以上の回数、
同じ言葉が発せられたことになります。

それは読み上げることだけでなく、
脳で読み取ることも含めたら、
さらにとんでもない数になると思います。

言葉の力は、
物理的には振動などで伝えられますが、
発声量、気持ちの強さで変わります。
合唱コンクールなどがよい例でしょう。

聞いていて感動すら覚えるのは、1人1人の気持ちなりが乗り、
相乗効果としてエネルギーを伝えているからだと思います。

さきほどの聖書なりも、
仮に数十億人が、一度に同時の言葉を発声したらどうなるでしょうか?
へたしたら聞いた瞬間失神したり、
死ぬほどの衝撃ではないでしょうか。




言語外コミュニケーションというものがあります。
空気を読め、なんて言われたりします。
人には言葉として言わずとも意味を理解し、
察するという能力があります。
全部言わなくても、雰囲気で伝える手段があります。

人をなぐさめるときも、
言葉で慰めることもあれば、
横にただ座っているだけで、
理解してもらえたと感じ、癒されることもあるでしょう。


言葉を読み上げる、なぞる。
読み上げることは、物理的にエネルギーが発生しますが、
脳で読み上げる場合は、直接的に言葉は発生していませんが、
それもまた脳によるエネルギーが発生していると考えます。

読み上げられたエネルギーは、無意識の記憶に蓄積されていて、
エネルギーとして言葉の余韻のように振動し、
認識を共有するものに伝わって留まるのではないか。

媒介としての書、本、紙、という物質的共通認識と
同じ宗教なり教義なりを、
同じ思想と認識をする人がいれば、その記憶が繋がるのです。


先ほどのなぐさめの方法などでも例にある通り、
人間は言語で伝えなくても意味を感じ取る力があります。
その無意識の力によって、宗教というものの共通認識が起こり
関わろうとする意思、引っ張っていく力が強ければ、
強いほどにより深く影響を受け、

ネガティブからニュートラルに、
ニュートラルからポジティブに、
本人のエネルギーが変化していくことにより、
生きる上の力になっていくのだろうと思うのです。


まとまっているか怪しいところではありますが、
図形の波動エネルギーなどを実体験し、
ふと、宗教書のエネルギーについて
まとめてみたくなったので、まとめてみました。

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